全知存在は現実バイアスにとらわれる

全知は非可逆的現象。これだけは覚えて帰ってください。

急に何?って話だが私は全知存在の強火オタクなので、毎日全知存在のこと考えて生きている。最近読んだ本で全知存在への解釈が深まったので吐き出しておく。読書感想文に見せかけた一次創作語りだよ。

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大好きな養老先生と大好きな名越先生の対談とあっちゃ読まずにはいられん!とはいえ成功者のおじいちゃんたちが成功者の立場からあれこれ雑談してるんで、人によっては鼻につくかも。

養老 (中略)さっきの「理解する」とか「わかる」ということでいえば、人の脳は無意識という「意味のない部分」がまさに大部分を占めていて、実は意識なんていうのは氷山の一角なんですよ、脳の機能でいえばね。
名越 我々はその氷山の一角で、普段はものを見たり、喋ったりしているわけですからね、その自覚を全然していないけど……。

「他人」の壁

これすごく面白くて、知覚するとか認識するとかの延長として全知存在が成り立ってるんだけど、そんな全知存在にも無意識の部分が存在するってわけだよ。全知存在がもとはホモ・サピエンスだったら少なくとも無意識領域があるし、行動にバイアスがかかったりするわけ。わかりきってたことだけど、全知=全能ではなくて、人間らしいミスやバイアスが介在する可能性があるの。

うちの創作の全知存在は、生前人間としてふつうに生きており、真理に到達したときにアカシックレコードにつながった端末として星座に昇華されたタイプなので、ホモ・サピエンスだった時代の”個”が残ってる。個→アカシックレコードのアクセスはできるけど、アカシックレコード→個っていう逆流はできない設定。

話すと長くなるけど、うちの創作のアカシックレコードは瞬間という番地座標に瞬間を保存しておく機構なんだけど、瞬間を一枚の写真のように切り取って保存しているから、どの瞬間からどの瞬間に連続した時間が流れたか、っていう時間の経過記録がない。時間はホモ・サピエンスが知覚したことであとづけで生成されたタームで、上位存在は時間の概念がない。

で、本書でオタク的に面白い記述があった。

世界というのは、瞬間の繰り返しですからね。

「他人」の壁

ほんまそれ。

仏教では、「心とは瞬間ごとに変化し続ける運動である」と教えています。つまり、「心」というものに固定的な実体はなく、したがって一瞬ごとに変化をし続けるんだと言っているんですよね。

「他人」の壁

仏教おもしろい宗教だな。今度ちょっと調べてみるか。仏教的に一貫した心の実体がないんだったら、個の実体も実はないってこと!?そうするとホモ・サピエンスの個人を定義するタームって結局、誰が・どの瞬間に・どんなことを考えていた・行動していたっていう瞬間の記録があって、その瞬間の番地をどのように辿ったかっていう、1本の長い紐のような番地移動履歴が人生ってラベリングされてるってことなんだよな。

つまり人は往々にして、自分を自分たらしめる不変の心とか魂、意識のようなものがあると考えるけれども、そのような不変の主体はない。

「他人」の壁

答え合わせきたな。

それに対して、まず個人があって、その個人が本質的に変わらないと考えたのが西欧近代的な自我なんです。

「他人」の壁

デカルトの「我思う、故に我在り」とか。西欧の哲学ばっかり読み漁ってたから、仏教の考え方はかなり衝撃的だった。西欧あがりの全知存在と仏教あがりの全知存在でふたつ解釈練りたい。

だから、「知る」ということは「自分が変わる」ということなんです。

「他人」の壁

これはほんとにそうで、全知存在は不変の存在になってるって解釈なんだよなうちも。全知存在が許されてる変化って、すべてを知った上で、どう行動するかっていう部分しかない。定義された関数は固定なんだけど、その関数を使ってどんなプログラムを実行するかは自由として残されているみたいな。って思ってたんだよ。次の記述がめちゃくちゃおもしろい。

変化した後の自分は未知の世界だから、変化前の自分が知っているはずがない。もしかしたら、人生で味わったことがないような、圧倒的に爽快な体験を「行」で得られたかもしれないところを、余計な先入観をイメージとして詰め込んでしまったがために、結果として得られなかったという人は多いと思います。

「他人」の壁

で、一番刺さったのはこれ。全知存在「行」ができない。行って何かっていうと、善悪のいっさいの行為をいうんだけど、行を通じて徳を積んで悟りを開くって流れ。別に悟りは開かんでもいいが、実行後どうなるかも知っているから、実行しなくてもいいやになりがちなのでは?という話(知っている上で実行する全知個体もたぶんいる)。体験の希薄化が進み、体験すること自体に興味が持てない全知個体、いる。

うちの創作の全知存在にマジシャンというキャラがいる。そいつは一介の人間から全知存在になったあと、時間というタームを記録する機構を作るのに腐心して、結局アカシックレコードの劣化版みたいなクロニクルレコードという都市機構を生み出した。アカシックレコードは瞬間をイデアとして保管するけど、クロニクルレコードはその瞬間の番地を継承して参照した上で、どのような瞬間が流れたか、という時間の流れを旋律として記録している。クロニクルレコードと呼ばれる塔には常に美しい音楽が流れ続けている。つまりマジシャンは全知存在になったあとも行を続けた、数少ない個体なわけだ。ふーん、解釈一致じゃん。

バイアスとは何か

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こちらもオタク的におもしろい部分がいくつかあったので。

なお、「認知資源」とは頭で情報を処理するためのエネルギーと考えておいてください。

バイアスとは何か

MP的な概念がある創作してたんだけど、ファンタジーではないのでMPってマナポイントとかじゃないよな…ってもんやりしていた。マナとかエーテルみたいな魔法の物質がないなら、MPってなんなんだよって考えた結果の、答えが、これ。認知資源だよ!

認知資源が有限なホモ・サピエンスの個体が、どうやってアカシックレコードの膨大なイデアに耐えているかをずっと考えていた。結局、全知へ至った個体の認知資源が無尽蔵に増えるわけではなくて、生来の認知資源分だけ知識を個体がストックして、ストックにない知識やイデアが必要になったとき、アカシックレコードへ参照しに行けるシステムへのアクセス権があるのが「全知へ至る」特権なのではないか?

後知恵バイアスと、後で紹介する「合意性バイアス」が合わさったものを「現実バイアス」と呼びます(開・長谷川、2009, p. 222)。現実をあたかも前から知っていたかのように錯覚し、当然他人も知っていると思いこむことで、必要以上に現実に囚われるからです。自分の知っていることが目の前の現実を認識する妨げになるという意味で、「知識の呪縛」といえます。

バイアスとは何か

知識の呪縛って響きがすけべすぎる。全知存在と会話しているときに、当たり前のノリでモブ俺氏が知る由もないことをさも当然の事実のように言及してくるのエッチすぎる。

ホモ・サピエンスのこと愛している全知個体は、人類が成長することを愛おしいと思ってるから自分が知っている未来のこと黙っててくれるけど、人類になんの思い入れもない全知個体は、普通に未来のネタバレとかしてくる。全知個体になって長くなれば長くなるほどホモ・サピエンスが定義した時間概念が薄れてくるから、対話中のホモ・サピエンスにとっての現在がどこかを気にするってことをしなくなりそう。じょ、上位存在~~。

とまあ、最近はそんなこと考えて生きてます。

たびたび言及されているマジシャンを描きました。魔術師座を愛せ。

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